“当たり前”の恐ろしさ

こんにちは!

スタッフの里見です。

桜の桃色も緑色に変わり、ぽかぽか陽気が続いていますね(^ ^)☀️

いきなりですが・・!

社会にはさまざまな「当たり前」が溢れていると思います。

そもそも、「当たり前」って何なのでしょう?

みんなが一定の社会や秩序を守るから社会は保たれていると思いますが、社会に存在する暗黙のルールやこうするのが当たり前!という固定概念に縛られ、ある意味籠の中の鳥状態になっているのではないかなと感じることがあります。

そのため、籠から出たくても出れずにいつの間にか疲弊していってしまうのかなと考えます。

 しかし、「当たり前」と一概に言っても、生きてきた人生や価値観が違えば、「Aさんの当たり前」、「Bさんの当たり前」、「Cさんの当たり前」と人によって異なると思います。

つまり、多様な「当たり前」が存在し、それを無理にそうしなければならないという義務感的な感じではなく、その人の当たり前はそうなんだねと受け入れていくことが大切なのかなと考えています。

私は高校生の頃、「〇〇してみたい!」と言うと、「自分の現状を理解した方がいいよ」や「今のあなたならできないと思うよ」と大人から諦めるように説得されたことがあります。

 現状を考えれば、できないことは目に見えていました。

しかし、『まだやってもいないにも関わらず、最初から諦めて、ホントにそれで良いのかな?』『何事もやってみなければ分からないし、人間完璧な生き物じゃないんだから、失敗した時はそん時はそん時だ。』と思っていました。

まぁ、結局大人の言いなり通りに諦める決断をしましたが、未だにあの時感じたモヤモヤは記憶に残っています(笑)

諦めが悪いと言われればそれまでかもしれませんし、時には諦めることも大事だと思います。しかし、諦めて後悔が残るよりかは挑戦して失敗して自分の出来る範囲を自覚した方が良いのかなと私は思います。

大人はついつい、先を見据えて不安やリスクを恐れ、『こうした方が良いんだよ』と自分の当たり前を無意識下で子どもに押し付けがちだと思われます。

それもそれで未然に防ぐという意味で良いかもしれません。

ただ、実際に子どもがやってみて実感したり危ないという説明に納得したりしなければ、子どもの可能性も決められた範囲、狭い範囲のみに留まってしまうと考えると、ある意味怖いなと思います。

これからもさまざまな活動での子どもとの関わりの中で、学び吸収し、考えていきたいと思っています。

最後に、2019年度に私がまちらぼでやりたいと思っている大きな目標を一つだけ言うと、

語弊があるかもしれませんが…

“ゆうがおサポーターのストックを増やす!!”

ということです。

今までのまちらぼでの活動を通して、「大学生がいたらまた1人、子どもを救える」一方で、極論を言えば「どんなに救いたくても大学生がいない為見捨てざるを得ない子どもがいる」ということを知っています。

しかし現在、ゆうがおサポーターが不足しており、相談を受けてからどうにかして訪問できそうな大学生を探しているという状態です。

そのため、1人でも多くのゆうがおサポーターが増えるとともに、いつでもご家庭に行けるように準備しておく必要があると思っています。

大目標を達成するためには中目標を達成する必要があり、中目標を達成するためにはまずは小目標を達成する必要があります。

この目標を達成するにあたり、1人では達成することはできません。

しかし、幸いにも心強い仲間が身近にいます。

学生スタッフ一同、今年度も頑張って参ります!

長々とかなりまとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。

今年度もどうぞよろしくお願い致します。

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