こんにちは、お久しぶりです。
スタッフの武脇です。
以前のブログからだいぶ間が空いてしまった気がします。
長い間更新しておらず、申し訳ありません💦
1月ももう終わりです。いよいよ年度末ですね。
まちラボのスタッフはみんな大学生なので、今年大学を卒業される先輩方は、同時にまちラボも卒業となります。
大学卒業はおめでたいですが、先輩方がいらっしゃらなくなるのは寂しいです…
しかも、4月からは私も4年生、まちラボの最上級生です。
ついこの前、まちラボに入ったばかりな気もするのに…
一番後輩だった気がするのに…(笑)
先輩方が卒業されることが、すでに不安です(笑)
それでも、頼りになる仲間もたくさんいるので、みんなで力を合わせて活動していきたいと思います。
さて、前置きが長くなってしまいました。
今回のブログでは、「支えあう」ということについて考えてみたいと思います。
現在、まちラボでは、ゆうがお塾事業の見直しがされています。
ゆうがお塾ではずっと、大学生支援員と子どもとのななめの関係を大切にしてきていました。大人でもない、子どもでもない、ななめ上の私たち大学生だからこそ、できることがあるのだと。
しかし、まちラボ代表の永田さんから、ピアサポートの考え方を紹介され、この“斜めの関係”に、スタッフ一同疑問を持つようになりました。
いくらななめであっても、そこに「上・下」の関係が生まれてしまいます。
支援する側とされる側が明確に区別され、「支えあう」という関係が生じません。
“人を支える経験”こそが、自分は必要とされているという自信へと繋がっていきます。
従来のゆうがお塾では、「支えられる」ことはできても「支える」経験ができません。
そこで、大学生と子どもとの関係を、ななめではなく「対等」に位置づけて、大学生支援員という呼び方をやめ「サポーター」と呼んでいます。
(サポ―ターという呼び方もしっくりこないのですが、いい言葉が見つからず、とりあえずこう呼んでいます…)
支援されている子どもたちにとって、「支える」経験は非常に乏しい状態にあると聞きました。
最初はよくわからなかったのですが、確かに発達障害児療育の現場に入らせてもらうと、 どうしても子どもに対して“至れり尽くせり”な感じがしてしまいます。
子どもに適切な支援を届けなければならないので、それも必要なことなのでしょう。
ただ私が、健常者と障害者を明確に区別しない考え方に寄ってしまっているので、どうしても違和感を覚えてしまいます(寄りすぎてもよくないなと思っているのですが…)。
どちらにしろ、支援を受けている子どもたちにとって、支える経験は確かに不足している気がしました。
私自身、支える経験はまわりまわって自分を支えてくれている経験になっています。
うろ覚えなのですが、小学生時代に大好きで何度も読んでいたナイチンゲールの伝記でも、彼女の言葉で似たようなことが語られていた気がします(笑)
現在支援を受けている子どもたちにとっての「支える経験」について、もっと重要視していかなければならないのだなと思います。
そして、ここからはあまり考えが深められていないのですが。
「支える経験」を重要視しすぎて、その経験が行き過ぎてしまっている子どもたちのことを見落とすことはしたくないです。
「支える経験」が効果を発揮するのは、それが自分を支えてくれるものとして返ってきている場合です。
あまりに一方的すぎる支えの経験は、子どもにとって負担になってしまいます。
そんな子どもこそ、支援対象として見過ごされがちになっている気がしています。
支える経験と支えられる経験、両者成り立ってこそです。
必要以上に頑張りすぎている子どもたちを見逃さず、対等な関係で自然に支えあっていけるようになりたいなと思います。
前回に引き続き、まとまりのないお喋りのような文章になってしまいました。
もうちょっとしっかり考えを固めないと、まとまった文章が書けません💦
まだまだです。精進します。
読んで下さった方、ありがとうございます。
そして突然ですが、3月14日に「未来トーク」というイベントが開催されます。
これは、大学生と中学生が出会い、自由に話をする場です。
現在ボランティアを募集しているのですが、ありがたいことにたくさんのボランティアが集まっており、残り枠2名となってしまいました💦
とても楽しいイベントです。ぜひボランティアとして参加ご検討ください!
申し込みや具体的な説明についてはこちらをご覧ください(⌒∇⌒)