今度、ある学校で講演会をする機会を頂いたので、その内容をまとめるつもりでも、考えを整理していきたいと思います。

よく不登校の相談を受けますが、もともと僕らは不登校をメインで対応するつもりではありませんでした。

法人を立ち上げたのは、児童相談所のある出会いからでした。

あるこどもをめぐって、僕自身、とても考えさせられることがあり、多くの後悔もあったため、法人を立ち上げることにしました。

詳しくは、ネット上にあまりあげたくないので、いつか講演を聞いていただければと思いますが、要は、あるこどもに対して、もっと手厚いサポートがあれば、その子の人生は大きく変わったのではないかと思うことがあったのです。

そこから、僕は、非行少年たちに勉強を教えるという名目で継続支援をするための支援をつくりました。

しかし、なかなかうまくいかず。

訪問支援という手法に手を出したのも、待っていても来ない状況が続いたからでした。

こちらから行くという支援はあまりなく、そこから不登校の相談が増えていきました。

やはり、不登校の相談でよくある「なぜ不登校になったのか」という質問については難しいところがあります。

そもそも、細かいところかもしれませんが、”不登校になる”というのは誤りのような気がします。

不登校というのは概念であって、不登校状態というのがまだ適している気がしますが・・・

不登校状態、つまりは、なぜ学校に行けなくなったのかという問題ですが、

それは、一概にこうだということは難しいでしょう。

僕としては、心労が募ってバーンアウトが起きたというのが一番多い気がします。

なぜ心労が募ったかというのは、人ぞれぞれでしょう。

理解してもらえなかった、助けてが言えなかった、内在化した社会的規則に縛られすぎた・・・

などなど

不登校状態のこどもだけではなく、ほとんどのこどもが、「○○とはこういうものだ」という常識を内在化しています。

しかし、それが歪んでいることが少なくありません。

「勉強は辛い、嫌なものだ」

「学校に行っていないのは悪いことだ」

こういった内在化された常識や社会的規則に縛られている状態だと

例えば、学校に行っていない自分を「ダメなやつ」として強い自己嫌悪に陥り、

気持ちのエネルギーの低下につながっていきます。

ただでさえ、心労が募り、不登校状態に陥ったのに、

自己嫌悪も加わると、強い無気力感に襲われます。

そこに、せめて勉強をするように言ったところで、

まず動けないですし、内在化された常識、固定概念、規則がある以上、なかなか手を出せない。

そうやって、どつぼにはまっていきます。

どうサポートしていくかというと、内在化されたものの考え方を修正することにより、自己嫌悪を止めて、エネルギーを貯めさせ、行動ができる環境をつくらないといけません。

時間がかかる子もいます。

しかし、心の健康は必ず取り戻せます。

不登校状態は、細かい傷つき体験による心労や、モラトリアム(わかりやすくいうと、自分探し)の期間などによって、なることが多いですが、

問題なのは、不登校状態になることにより、社会的に不利になる事実です。

たまたま

適切ではない関わり方が積み重なり、心労によりバーンアウトした

内在化した常識や社会的規則に縛られすぎてバーンアウトした

なにかが合わなかった

それにより、一旦、自分のことや、まわりのことを

そして、こどもを取り巻く大人も、自分自身のことを

つまりは、みんなが自分のあり方を見つめなおす時が来た

それだけです。

そこに時間がかかってしまうかもしれない。

でも、本人は自分自身として、そして家族は家族として

改めてあり方を考え自分の道を歩いていくきっかけになる。

と思えればいいのですが

不登校という、学校に行かない期間があるだけで、

大きく社会的に不利になってしまう。

その焦りが、本人や家族、果ては支援者にまで降りかかり、

本来「待つ」べき時期だったとしても、焦りでゆっくりしていられない。

それにより物事がこじれていくということも少なくありません。

もう少しゆっくり不登校できるとまた違うのかもしれませんが。

それに、学校に行っていれば大丈夫というのはもはや神話に近く

ひきこもりの平均年齢などを見ると、小中高校に行っていたとしても、誰しもリスクはあります。

更に、日本人の多くが心理的課題を抱えているのも事実でしょう。

みんな、ふるい落とされないように必死になり、

不登校になれば、不利になり

ならなくても、幸せとは限らない

こんな抜けるに抜けられないレースをずっと走らされているような状況に思えます。

話を少し戻すと

不登校の支援がこじれたり、歪みを持つのは、

本来待つべきなのに、社会的不利により焦る

待った結果、社会的不利になる

というどちらに転んでも、社会的に痛手を負ってしまう事実でしょう。

もちろん、不登校になったとしても、その後、不利を跳ね返せる事実もあるでしょう。

でも、それは本人の能力とポテンシャル次第なのも事実です。

しかも、それは、前のブログでも触れたように、その子が置かれている環境にもよってくる。

そんな歪みだらけの状況で、支援とはどうあるべきかを考えていかないといけません。

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