ここ数日で、「教育格差(著・松岡亮二 ちくま新書)」と「ケーキの切れない非行少年たち(著・宮口幸治) 新潮新書」を読みました。
以前から話題になっており、気にはなっていましたが、多忙を理由に手を出していませんでした。
やっと読めると思い、読み始めました。
教育格差はなかなかのページ数でしたが、とても興味深くあっという間に読んでしまいました。
今度、このふたつの本を読んでの感想もブログで書きたいと思いますが、先にひとつだけ。
これらの本が伝えたいのは「教育の重要性」だなと感じました。
特に、「教育の価値の理解」が深いテーマだなと思いました。
正直なところ、これまで放デイで働いていたとき、強く「これでいいのか?」と感じていました。
訪問支援をしていてもそうです。
僕の持論は、「支援に正解はないから、常に間違っていないか確認を」でした。
正解がないという言葉に甘えて、なんとなくやるのではなく、
正解はなくとも、自分たちが間違っていないか確認する中でいい支援を見つけられると思っていました。
しかし、間違っていないかの確認をしながらでも、しっくりこない部分がある。
実は、それがすごくストレスで、いくら考えても、なにがしっくり来てないのかもわからない。
しかし、今回、教育という視点から、改めて見たときよくわかりました。
特に「ケーキの切れない非行少年たち」は、福祉的観点から教育を見ているように思いました。
大きなヒントを感じました。
これまで僕は「安心安全」な環境をつくること、「自己選択」ができる環境をつくることを重点に置いていました。
これに関しては、間違っているとは思いません。
問題は、これが第一段階であるということ、基本であり、土台だったということです。
安心安全かつ自己選択が尊重される環境は、いわば、プランターです。
基本的な枠組みです。
この基本的な愛着形成と自己選択がなされる枠組みを構築したら、次は栄養と水を与え、目を出させる作業に入らなければならなかったのです。
ただ、もちろん、これを考えていなかったわけではありません。
どちらかというと、枠組みを作った後、栄養と水を本人たちが欲しがったら与えることで、自動的に成長するのだと思っていました。
しかし、そう簡単ではなかったということに気づきました。
基本的な枠組み、成長の土台作りができた子どもたちには、しっかりとした教育が必要になるのです。
しかし、これは僕も少し思い違いをしていましたが、ここでいう教育とは「教科学習」ではないように思います。
テストでいい点を取るとか、受験を合格するという前段階があります。
それが
①適切な情報や経験に触れているか
②適切なセルフイメージができているか
③基礎的能力がトレーニングされているか
だと思いました。
適切な情報や経験に触れていなければ、学ぶ価値、成長する必要性、向上心が育まれません。
これは、こどもだけでなく、大人もそうです。
家庭、学校、地域レベルで適切な情報を保持しているのかは重要です。
この激動の社会、いまの教育システムを受けていれば十分というあまい認識しか持っていない地域であれば、成長は見込めません。
こどもたちも、勉強の重要性を理解できないまま、言われたとおりに教科学習をする。
繰り返し問題を解き、書き写し・・・これに何の意味があるかわからないまま
これはただ、勉強嫌いを量産しているようにしか思えません。
適切なセルフイメージというのは、自分の現状を理解していて、自分の能力を適切に理解しているかということです。
こどもだけでなく、日本人の多くが、自尊感情は低いでしょう。
それをあげることではなく、自分のできること、できないことを客観的、冷静に分析し、受け入れること。
そして、できないことで、できるようになりたいことは、ただ努力すればいい。
そう思えるようになることです。
「自分はできない、ダメなやつだ」という誤ったセルフイメージしか持てないと、行動できません。
そして、基礎的な能力とは「読む」「見る」「聴く」「数える」という基本的な能力が育っているかです。
教科教育はこれらができる前提に成り立っており、勉強ができない子は教科を理解していないとなりがちですが、そうではなく、根本的なところが弱い可能性もあるのです。
安心安全かつ自己選択が尊重される環境ができたら、
つぎは、適切な情報に触れ、適切なセルフイメージを持ち、基本的な能力を鍛えなおす
そして、次に受験等をめざしていく
というプロセスになっていくのだと思いました。
とはいえ、多くのこどもたちは、
うまくいかずに叱咤された経験や理解されなかった経験など
いわゆる傷つき体験を積み重ねており、
そのせいで、適切な情報に対し、自分とは無関係と思ったり、
セルフイメージが歪んでいたり、
それによって、基礎的な能力も鍛えることに無気力になったり
と
なかなか課題はありますが、
それに対し、真摯に向き合っていく支援が必要なのだと思います。